(前回からの続き)
自費出張でしたから、当然の如く半分以上、旅行気分でした。「とりあえず、ボクの家にステイしたら」とレイカーズの秘書の山洞さんが言ってくれたので、お願いしました。1987年ですから約40年程前のことになります。
LAを起点としてあちらこちらに足を延ばしてアメリカのバスケットボールのDEEPなポイントを見て、そして取材しまくったのでした。それは日本のミニに当たるユースバスケットからハイスクール、3on3、カレッジそして一般のシニアにまでその範囲は広がりました。もちろんスプリングフィールド・マサチューセッツのネイスミス・メモリアル・ホール・オブ・フェイム(バスケットボール殿堂)が取材先に入っていたのは言うまでもありません。

在りし日の”Pickfair”
しかしながらやはり、一番びっくりしたのは山洞さんの住むジェリー・バスさんの館でした、豪邸が立ち並ぶハリウッドの中でも最も有名なピックフェアと呼ばれている、人気俳優夫婦のダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードが住んでいた屋敷で、プールはあるは、テニスコートも、ゲストハウスも完備した超豪邸。確かに「部屋はかなりあるから心配しないで…」とは言われていたけれど凄い数の部屋とまるで美術館のような屋敷で「何なんだこれは?」と思ったものです。アメリカのプロチームのオーナーの金持ち度がよ~く理解できました。
オーナーのドクター・ジェリー・バスは、南カリフォルニア大の工学部で博士号をとっていたので、皆から親しみを込めてドクター・バスと呼ばれておりました。1979年にレイカーズとNHLのキングス、そしてアリーナのフォーラムを買い取り、80年代に5回ワールドチャンピオンになり、2000年代にはさらに4回優勝を積み上げる名門に育て上げたのです。そんな方の家に山洞さんのおかげで、結果として泊めていただく関係を持たせていただいたのでさらに深い繋がりができて、「雑誌の仕事上の足しになれば」とあらゆる資料を頂いたものです。
そうして、選手のユニフォームやウォームアップスにとどまらず、シューズもいただきました。極めつけは2022年のこと。山洞さんから電話がきて「今度日本に帰省するけどなにかいるものはないですか?」と…。「今部屋を片付けているのだけれど必要なものがあったら持っていくからね」と言ってくれたのです。それまでもかなり戴いていたので一応お断りしたのですが、「気にしないで言ってね、日本でいう”断捨離”だよ」と言うので「強いて言えばチャンピオンリングかな?」と冗談めかして言いました。そうしたら「OK、今度持っていくよ」ということで私の手に入ってしまいました。

2000年、コービーが初めてワールドチャンピオンになった時のもの。コービーのお母さんが欲しがったので作ってもらった時の値段は、なんと約2000万円。

Tiffany製です。
何でも集めておく癖はあったものの、個人的には欲がなく、無理しないので集まって来てしまうのかな?と今では思っています。
(続く)
文:島本和彦
「月刊バスケットボール」初代編集長。
NHK-BS放送でのNBAテレビ解説や、日本人記者として初となる現地でのNBA取材実施など、日本におけるNBA普及のパイオニアとして知られる。また、「能代バスケミュージアム」の設立や、全国各地の高校バスケットボール部を取材するなど、国内バスケットボール界の発展にも尽力してきた。バスケカルチャーに関わる品々の収集にも情熱を注ぎ、その膨大かつ希少なコレクションは他に類を見ない。
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