ピッツバーグ・パイレーツなどで、強肩強打の外野手として活躍したデーブ・パーカーさんが6月28日に天国に旅立った。パイレーツ球団が発表した。74歳だった。昨年12月、米野球殿堂入りしたパーカーさんは1か月後に殿堂入りセレモニーでスピーチする予定だった。パイレーツは同日の本拠地PNCパークでのニューヨーク・メッツ戦の試合前に場内アナウンスで訃報を伝え、黙とうが捧げられた。
ミシシッピ州出身のパーカーさんは1970年のドラフト14巡目指名でパイレーツに入団。73年にメジャーデビューし、通算2466試合に出場、2712安打、339本塁打、1493打点をマークした。77、78年に2年連続でナ・リーグ首位打者に輝き、78年にリーグMVPを獲得した。77~79年にはゴールドグラブ賞も受賞した。
1979年にパイレーツでワールドシリーズを制し、オールスターチームの一員として日米野球で来日。移籍したシンシナティ・レッズでは85年に打点王となり、オークランド・アスレチックスでは89年にもワールドシリーズ制覇に貢献した。ミルウォーキー・ブルワーズ、アナハイム・エンゼルス、トロント・ブルージェイスでもプレーし、91年限りで現役引退後はエンゼルスとセントルイス・カージナルスでコーチを務めた。
オールスターゲームには7回、選出した。2度目の出場となった1979年にはオールスターゲームMVPにも輝いた。「2番・右翼手」でスタメン出場。打席では3打数1安打、犠飛で打点もマークした。それでも、MVPを確実にしたのはその強肩。7回裏に三塁打を狙ったジム・ライス(レッドソックス)と、8回裏にグレイグ・ネトルズ(ヤンキース)の右前安打で本塁を狙ったブライアン・ダウニング(エンゼルス)を補殺した。守備で初めてオールスターMVPに選ばれた、とまで言われた。
高校生だったボクは、確か、深夜にテレビの録画中継でこの試合を観戦。その強肩を見て、魅入られた。この日ばかりは、隠れて見ていた「11PM」ではなく、パーカーさんの強肩に胸を高鳴らせたのである。
195センチ、100キロの巨漢で、「コブラ」と呼ばれた。生前のカードにはサインの代わりに「コブラ」と書き込んだものもある。このニックネームがまた、カッコよかった。一説によると、ひと噛みで相手を倒すような勝負強い打撃がその由来と言われているが、相手チームの走者を刺すその強肩も「コブラ」のようだった。親にねだって、後楽園球場へ日米野球を見に行った理由のひとつは、パーカーさんを生で見たいと思ったから、でもあった。席はもちろん、右翼スタンドだった。
7月27日にニューヨーク州クーパーズタウンで開かれる殿堂入り式典に出席予定で、選出時には「普段泣かないのに涙が出た。本当に待ちわびていたので興奮している」と話していた。MLBのロブ・マンフレッド。・コミッショナーは「野球界に携わる私たち全員がこの喪失を悲しんでいます。コブラの名前は永遠に忘れません。彼の名前はまもなく私たちの国民的娯楽の伝説に加わるのですから」と声明を発表した。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。ボブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。