(前回からの続き)
1990年ころになると、日本にもトレーディングカードショップが出現しはじめ、日本語版カードも発行される動きになってきて、ついにアッパーデック社が日本語版のNBAトレカを出すことになったのです。1994年の事です。
通常、野球の場合などは日本の出版社が発行するわけですが、日本にはプロ野球の歴史がありますから日本人のカードを出していただけで、アメリカのMLBカードを出すなどという発想は考えられないし、あり得なかったわけです。
日本での露出は主にTVで、今までやっていなかった局が放映していましたからね。
NBAの放映スタートは80年代の後半からKBS京都やテレビ東京を皮切りにNHKのBS放送が主体でしたから、スポーツ出版の先達のBBM(ベースボール・マガジン社)も手を出せなかったのでしょう。また、ある意味では日本のスポーツでは野球さえ押さえておけば、まずは安泰と考えていたとも言えます。
そんな時、スポーツマネージメントを中心の活動に据える代理店、ジャック坂崎マーケティング社から連絡が入り「プレイヤーの情報を日本語にしたいと思うので訳して欲しい」と私に依頼がありました。
先方の担当者の話では「量は少ないし簡単な英語ですのでよろしくお願い致します」ということだったのです。
さらに「翻訳者に頼もうと思ったのですがバスケ用語の判る人はなかなかいないし、手間もかかるので一番詳しい島本さんに頼むのが一番確実なので…」などとおだてられ、いつもの月刊誌の原稿の調子で、気軽に「分かりました、元原稿を送って戴いて、締め切りを教えて下さい」と返事をしてしまいました。

いやあ~、原稿が来てみれば量が凄いこと凄いこと、あるはあるはレギュラープレイヤーカードが165枚。スターたちを入れたアッパーデックティップオフカードが27枚。オールスターアドバイスカードが6枚。NBAプロフィールカードが8枚。チェックリストカードが4枚。アッパーデックヒーローズが9枚。総計219枚のシリーズになっておりました。

この中で書かなくて良いのはチェックリストカードの4枚のみ。ボリュームは凄かった。
NBA全選手ではなくセレクトはされてはいるけれど、原稿の流用はまったくなし。データの数字は違うし、出身校も違う。
1枚たりとも同じことは書けないのです。なんともはやタフな仕事でございました。

しかしながら、日本で初めてのNBAバスケットボールカードの製作に立ち会えたのですからその精神的高揚感はありましたね。
何とか締め切りまでに終えなければという責任を果たすのが精一杯だったことを思い出します。なお、発行元はBANDAIさんでした。
まあ、今考えても1つのビジネスとしてカードショップが存在できていることにおいては、アメリカの足元にも及ばないかもしれませんが…。
少しは役に立っているのかもしれません。
文:島本和彦
「月刊バスケットボール」初代編集長。
NHK-BS放送でのNBAテレビ解説や、日本人記者として初となる現地でのNBA取材実施など、日本におけるNBA普及のパイオニアとして知られる。また、「能代バスケミュージアム」の設立や、全国各地の高校バスケットボール部を取材するなど、国内バスケットボール界の発展にも尽力してきた。バスケカルチャーに関わる品々の収集にも情熱を注ぎ、その膨大かつ希少なコレクションは他に類を見ない。
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