人気レスラーだったハルク・ホーガンさんが天国へ旅立った。米国のメディア、WWEなどが7月24日、発表した。71歳だった。フロリダ州クリアウォーターにある自宅から病院に運ばれた。
ホーガンさんは1953年にジョージア州で生まれた。1979年にリングに登場し、1980年代には日本のマットで活躍。1983年に開催された「IWGP決勝リーグ戦」には米国代表として参加。決勝戦でアントニオ猪木さんをオリジナルのラリアット「アックスボンバー」で倒して優勝を果たした。猪木さんは失神し、場内は騒然。ボクは大学生だったが、子どものように震えて眠れなかった記憶がある。
1981年から始めた右手人差し指を高々と上げ「イチバーン!」と叫ぶ決めポーズも人気に。リングコスチュームも黒のショートパンツに白字で「一番」と書いたものにして、「一番」と書かれたタンクトップやTシャツ、ハッピなどのグッズも発売された。「ICHIBAN」はNo.1を意味する言葉として米国でも知られるようになった、という。
WWF(現WWE)の元最高経営責任者のビンス・マクマホンさんは自身のSNSで「今日、世界は宝を失った。ハルク・ホーガンは時代を超え世界中の誰もが愛し、称賛したWWEで最も偉大なスーパースターだった。彼は、レスリングのスターから社会現象を起こした先駆者だった」などと綴った。
WWEの統括責任者であるHHHも自身のSNSで「テリー『ハルク・ホーガン』ボレアほど偉大な人物は、おそらくいないだろう。彼は「スーパースター」の原型だった。世界的なセンセーションを巻き起こし、何百万人もの人々に、彼らが成し遂げたいことのために努力する勇気を与え、世界中のファンに彼のことをすぐに認識させるルックスを持っていました」と追悼した。
ホーガンさんと親交のあったドラルド・トランプ大統領もSNSに「タフで、賢く、大きな心を持っていた。世界中のファンを魅了し、その影響は計り知れない」と投稿した。
2005年にWWE殿堂入り。2020年には「NWO」のメンバーとして2度目のWWE殿堂入りを果たした。
そのパフォーマンスは、子供たちとその親たちを魅了し、プロレスを家族向けのエンターテイメントスポーツへと成長させた。「ロッキー3」に、主人公ロッキーと対戦したサンダー・リップスを務めるなど俳優として多くの映画に出演し、プロレスの人気普及に努めた。日本では人気漫画「キン肉マン」のキャラクター「ネプチューンマン」のモデルになった。
多方面に多大な影響を与えたホーガンさんだが、トレーディングカードでもスーパースター、そして、レジェンドだった。全世界の人々を魅了したそのパフォーマンスがカードになり、役名「サンダーリップス」をインスクリプションしたカードもある。MINモールにも多くのトレカが出品されていたが、ほとんどが売り切れてしまった。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。ボブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。
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