
プロ野球最多の3085安打を打ち、「安打製造機」と呼ばれた張本勲さんが9月9日、天国へ旅立った。
張本さんは広島市出身で1959年に大阪・浪華商(現大体大浪商)日本ハムの前身の東映に入団し、1年目から活躍して新人王を獲得した。2年目から、3年連続で打率3割をこえ、3年目で首位打者、そして4年目には、パ・リーグのMVP獲得と日本一を達成した。

4歳の時、右手に大やけどをしたことで利き手を左に変えることになったが、捕手寄りにバットを高く構え、レベルスイングで右に左にヒットを量産。スプレー打法と呼ばれた打撃で安打を量産して首位打者には4年連続を含むあわせて7回、輝いた。首位打者7回はオリックス時代のイチローさんと並ぶNPB記録で、1962年には東映初のリーグ優勝にも貢献した。
「安打製造機」は1975年の就任1年目で球団史上初の最下位に終わった長嶋茂雄監督(当時)の熱望もあり、高橋一三投手、富田勝選手との2対1の交換トレードで、巨人に移籍。王貞治さんとの「OH砲」で、長嶋監督のもとでチームを2回のリーグ優勝に導いた。

ロッテに移籍した1980年にプロ野球界で初めて3000本安打を打ち、通算安打3085本は、イチローさんに日米通算の記録で抜かれたが、現在もNPB記録として燦然と輝いている。通算打率.319は4000打数以上の選手では歴代3位で、本塁打は歴代7位に並ぶ504本、盗塁も319個を記録し、平成2年に野球殿堂入りを果たした。
現役引退後は、在日韓国人二世として韓国の野球界との交流に力を入れたほか、解説者として活躍し、民放のテレビ番組では「球界のご意見番」として、野球だけでなく、幅広い競技や選手に対し歯にきぬ着せぬ物言いで意見。だらしないプレーには「喝!」好プレーには「あっぱれ!」と端的な言葉で批評するおなじみのフレーズは厳しい中にも、人情味あふれる張本さんの人柄があらわれ、お茶の間の人気を集めた。

「名球会」は、張本さんの死去を受けてコメントを発表した。
この中で「1980年にはNPB史上初となる通算3000本安打の偉業を達成し、日本のプロ野球史に不滅の足跡を刻まれました。その圧倒的な打撃成績と野球に対する厳しい姿勢は広範囲なファンに愛され、引退後も野球解説者や評論家として歯にきぬきせぬ力強いコメントを通じ、長年にわたり野球界の魅力を伝え続けられました。名球会においては設立初期から創立メンバーの1人として参画され、会員の広報・活動の発展に尽力されたほか、各地での野球教室や各種イベントなどを通じて、次世代への野球の普及と発展に大きく貢献されました。名球会一同、張本勲さんの長年にわたる偉大なご功績に深く敬意と感謝の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。
野球の普及と発展への貢献という意味では、とエーディングカードでも張本さんの存在は大きかった。そのスプレー打法と笑顔はトレーディングカードの中でも輝き続ける。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。ボブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)としてテレビ出演も。最近はトレカだけでなく、米国のリサイクルショップを回り、地元のアマ、プロチームの中古Tシャツ集めにはまっている。





























