シカゴ・カブスで名二塁手として活躍したライン・サンドバーグさんが天国に旅立った。カブスが7月28日、発表した。65歳だった。家族によると、がんとの闘病が続いていた。
カブス球団の公式SNSでは「カブスの愛された二塁手は、1980年代から90年代初頭にかけて、5ツールプレイヤー(走攻守の全てに優れた選手)としての手本だった。彼は10年連続でオールスターチームに選出され、9年連続でゴールドグラブ賞を受賞した」と伝えた。
さらに「16シーズンにわたり、282本のホームランを打ち、そのうち277本は二塁手としての記録であり、当時のMLB記録だった」とした。
MLB公式サイトも「二塁手のポジションを再定義」したとし「野球史上最高の選手の一人」と紹介した。
米ワシントン州スポーケン生まれのサンドバーグさんは1978年のMLBドラフトでフィラデル・フィリーズに1巡目指名(全体20位)を受け、ワシントン州立大から入団。高い身体能力で同大ではフットボール選手としても注目されていた。
1981年にMLBデビューを果たしたが、オフにレギュラーのラリー・ボーア遊撃手とともにカブスへ移籍。交換相手はスター選手のイバン・デヘスース遊撃手だった。
移籍1年目に遊撃手から三塁手に転向。ロサンゼルス・ドジャースのレジェンド、ロン・セイ三塁手が加入したことで二塁に転向し、台頭した。
元来の高い守備力で1983年から9年連続ゴールドグラブ賞受賞。打撃も開花し1984年には200安打をマークし、打率.314、自身初の2ケタ弾となる19本塁打、84打点。32盗塁も記録しチームの地区優勝に貢献し、MVPに選出された。
1990年には40アーチで本塁打王のタイトルも獲得するなど、通算282本塁打。シルバースラッガー賞にも7回、選出された。10回、オールスターゲームにも出場したが、1990年に本拠地のリグレー・フィールドで開催されたホームランダービーでは初の地元選手優勝を飾った。
日本のファンにとって印象に残るのは、1986年に日米野球で来日した際の一発。後楽園球場での第1戦に「2番・二塁手」で先発したサンドバーグさんは初回に、先発・江川卓投手(巨人)から先制アーチ。16勝をあげた江川さんからのいきなりのチーム1号でスタンドを驚かせた。
「ライノ」の愛称で親しまれ、1997年限りで現役を引退。2005年に野球殿堂入りし、背番号「23」が球団の永久欠番になった。2024年にはリグレーフィールドに銅像が作られ、元気な姿を見せていた。
MLBを代表するスター二塁手だったサンドバーグさんはトレーディングカードでもスター選手だった。プライスガイド「BECKETT」誌でもチェックリストに名前が掲載された。カードも多く、昨年まで往年の雄姿を再現したカードが収録された。今年も、これからもカードで名二塁手は語り継がれていく。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。ボブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。