徐々にバスケットボール界に詳しくなってくると、どうしてもこれは勉強しなければだめだろうという分野が出て来るようになってきました。
1970年代から80年代にかけては女子バスケはユニチカ山崎、さらに第一勧銀、日立戸塚などのチームを中心にアジアでも覇を競い合って、世界にも歩を進めていましたが、男子は残念な結果ばかりで、大会の報告号は追悼原稿ばかりのありさまでした。そんなことから、編集の中心をバスケの事ならすべてを網羅する総合誌的なものに少しずつ変化させていったのです。
そこで魅力的な話に感じられたのが、アメリカのNBAの存在とそれを取り巻くエピソードでした。
連載の第1回にも少し触れたアメリカで育った帰国子女がカードで遊んでいたとか、それは最初チューインガムについてくるおまけだったところからのスタートだったとか、そこには、第二次世界大戦後の日本のキャラメルのおまけの紅梅キャラメルと相通ずるものがあったのですね。

1981-82シーズンのカードが封入されたチューインガム(島本氏のコレクションから)
それが子どもの収集の趣味にとどまらないのがアメリカでした。あるとき、日系2世のバスケ関係の方を取材する機会に恵まれたのですが、その時にカードの話が出て非常に興味をそそられたのを思い出します。
その方は「ベースボールが最初だったけれど、バスケもカードのビジネスが今、すごく成長して来ているんだよ。そしてアメリカのコレクターは子どもが生まれるとその年のカードをコンプリートして買っておくという文化がある。レギュラーカードだから安く集められるし、その子が成長して大学に進学するころに売ると大学の入学金の足しになることもあるんだ」
というのです。

今も綺麗にファイリングされたカードたち。(島本氏のコレクションから)
後にマイケル・ジョーダンのルーキーカードを持っているという帰国子女に「いくらだった?」と聞いたところ「僕が小学生の低学年の小遣いで買えたのですからせいぜい20ドル位だったと思いますよ」と言ったのです。
MJは1984年のシーズンがルーキーイヤーですから40年を経た今、100万円は下らないというのですからなんともはや凄いとしか言いようがありません。

マイケル・ジョーダンの伝説的ルーキーカード。(島本氏のコレクションから)
ジョーダン?(笑)ではなかったようですね。
それと、子供が遊ぶ日本でいえば”めんこ”の様なものが「たった1枚でン百万とは誰も思わないでしょうから税金もかからないと思うよ」と言っておられましたっけ。
こんな話を取材の度に聞いてドンドンバスケットボールの未知なる世界にはまり込んでしまって52年。「たまるか!」ですな。
文:島本和彦
「月刊バスケットボール」初代編集長。
NHK-BS放送でのNBAテレビ解説や、日本人記者として初となる現地でのNBA取材実施など、日本におけるNBA普及のパイオニアとして知られる。
また、「能代バスケミュージアム」の設立や、全国各地の高校バスケットボール部を取材するなど、国内バスケットボール界の発展にも尽力してきた。
バスケカルチャーに関わる品々の収集にも情熱を注ぎ、その膨大かつ希少なコレクションは他に類を見ない。