
2022 カルビー プロ野球チップス第1弾 / 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ) 金箔サイン入り復刻カード
読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が6月3日、天国に旅立った。89歳だった。
長嶋さんは1936年、千葉県臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進み、東京六大学リーグでは、1957年秋に、当時の六大学記録を破る通算8本塁打の新記録を作った。
1958年に巨人に入団し、打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得。翌59年には、初の天覧試合で球史に残るサヨナラ本塁打。王貞治さんとのコンビは「ON」と呼ばれ、1965年からの9連覇(V9)の中心選手として、黄金時代を築き上げた。
1974年、後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた。翌75年から、巨人監督に就任。2度のセ・リーグ優勝を果たした。1993年に巨人監督に復帰。3度、セ・リーグを制し、1994年と2000年には日本一に輝いた。2001年に勇退し、終身名誉監督となった。
巨人での現役時代の背番号「3」は永久欠番。1975年からの第1次政権では「90」、1993年からの第2次政権では「33」を着けた。2000年に江藤智内野手がFA移籍してきた際に「33」を譲り「3」に戻った。
2003年にはアテネ五輪アジア予選で日本代表監督に就任し、予選を突破したが、2004年3月、脳梗塞こうそくを発症し、五輪での指揮を断念した。それでも懸命のリハビリで、春季キャンプ訪問や試合観戦ができるまでに回復。2013年には巨人で指導した松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞を受賞した。2021年の東京五輪では王さん、松井さんと3人で聖火ランナーを務め、同年秋、野球界から初となる文化勲章を受章した。
長嶋さんはトレーディングカードでも「ミスタープロ野球」だった。笑顔がアップの1973年の長嶋さんのカルビー「プロ野球スナック」は日本のトレカを代表する1枚となり、3度も復刻カードも作られた。監督時代も含め、数々の名作カードが登場。グラウンドでは記録と記憶に残るスーパースターだったが、トレカでも今後も語り継がれるスーパースターとなった。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。ボブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。